もうすぐ節分。ご家庭では毎年どんな風に過ごしていますか?
イベントとしても楽しい一日ですが、一度節分の由来や意味を振り返ってみるのもよいものですね。
子どもたちも年齢によって感じ方や理解の度合いも違ってきます。その年毎に何か一つ知識の積み重ねにしてもよいですし、家族のふれあい行事として活用してもよいですね。豆まきの他に子どもたちが楽しめる折り紙や絵本など、ぜひこの機会に取り入れてみてください。
節分の由来と意味についてスッキリ!
節分の由来や意味については知っているようであまり深くは知らないでいる人も多いのではないでしょうか。
まず、節分とは、季節の変わり目を表す特別な暦日(れきじつ)の一つで、これらを雑節と言って全部で次の9つがあります。
節分、彼岸、社日、八十八夜、入梅、半夏生、土用、二百十日、二百二十日
このうちの節分は、季節を分けることを意味し、もともと季節の移り変る節目のことで立春,立夏,立秋,立冬のそれぞれ前日の日のことです。ですから節分は1年に4回あるものでした。それが太陰太陽暦では立春を年の初めと決めたため、立春の前日(大寒の最後の日)を特に節分 (太陽暦の2月3日か4日) としたそうです。
それで江戸時代以降は立春の前日のこと節分を言うようになりました。
平安時代の宮中では、季節の変わり目に人に害を与える悪い気(邪気じゃき)が生じやすいと考えられていたことから、邪気払いのための宮中行事が行なわれていました。
文献によると、彩色した土で作った牛と童子の人形(土牛童子どぎゅうどうじ)を宮城の十二ヶ所の各門に大寒の日の前夜の夜半から、立春の日の前夜の夜半まで設置されたそうです。つまり、大寒の始まりから2週間ぐらい置かれていたものと思われます。
十二の人形は青、赤、白、黒、黄の色の土で作られていて、高さは60センチあまり、この五色の色は古代中国の自然哲学思想、万物は木・火・土・金・水の5元素からなるという説から来ているようです。
また、追儺(ついな)と呼ばれる鬼払いの儀式が宮中行事にありました。
この行事は大晦日(旧暦12月30日)に行なわれていて、鬼を払う役目を負った役人が、脇に仕える役人20人と宮中を掛け声をかけながら回ったそうです。
この追儺(ついな)の儀式は節分のルーツとも言われ、現在も節分祭追儺神事をおこなう寺社もあります。有名なところで言うと京都の下鴨神社や東京の日枝神社などですが、地方の小さな神社でも行なうところがあり、その地の弓の名手の弓射を見ることが出来ます。
実はこの追儺(ついな)の儀式と先に書いた土牛童子の設置はどちらも中国から日本に渡来した儀式でした。
宮中で行なわれていた追儺(ついな)の儀式では、葦(あし)の矢、桃の弓で鬼を追い払ったといわれ、まだ豆まきはしてませんでした。
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節分の由来と豆まきの関係は?
節分に付き物の豆まきはいったいいつ始まったのでしょう。
平安時代の宇多天皇の世に鞍馬山の鬼が出て来て都を荒らしたのを、毘沙門天のお告げによって大豆を鬼の目に投げつけ退治したという話が後世の文献に残っています。そして、節分に豆をまくようになるのは、庶民がこの儀式を行なうようになった室町、江戸時代からといわれています。そして、穀物には生命力と魔除けの力があり、語呂合わせで「魔目(豆・まめ)」を鬼の目に投げつけて「魔滅」させる意ととり、邪気払いして、一年の無病息災を願ったということです。
豆を撒いて、豆を自分の年齢(数え年)の数だけ食べる、または、自分の年の数の1つ多く食べると、風邪をひかないというのはよく言われますね。私などは年を取るにつれ、全部食べるのが辛くなってきていますが。
節分で子どもたちに伝えたいこと
もうすぐ節分。
皆さんはどのようにお過ごしですか。特にお子様のいるご家庭では、どんな風に節分のことをお話してあげているのでしょうか。
お子さんの年齢によって、お話しする内容は違ってくると思いますので、毎年少しずつ年齢に合ったものを用意してあげるとよいですね。節分に限りませんが、自分の国の行事や風習を知っておくことは自身のベース作りに大切なことです。そのために役に立つものに絵本があります。
その子に合ったものを少しだけ用意して、親子で何度も読んでみてください。
それから、折り紙遊びも子どもたちは大喜びしますよ。
豆まきの豆を入れるまめ入れ箱を作ってみませんか。
節分の由来と意味まとめ
節分の由来と意味について、意外と知っているようで知らないことが沢山あります。
節分は季節の変わり目の邪気を払うために行なわれ、古くは中国がルーツと言われています。その頃は、豆まきではなく、桃の枝の弓で鬼払いをしていたそうです。子どもたちと節分のお話をするときは、やはり一番最初の由来を分かりやすい言葉で説明してあげたいものです。そのためには、絵本や折り紙を使って、楽しくお話してあげてください。