ひいな遊びという人形遊びが季節の節目の行事、上巳の節句と結びついて、全国に広まり、雛人形が飾られるようになったのは、江戸時代になってからといわれています。
もともとは男女一対の内裏雛を飾るだけの物でしたが、装飾的かつ祭礼的(災厄を人形に身代わりにする)な意味合いが強まり、武家子女など身分の高い女性の嫁入り道具になり始めた頃から、華美で贅沢なものになっていきました。
お雛様を飾る時の左右ってご存知ですか。その他、三人官女や五人囃子、お道具などについてもご紹介します。
飾る場所ですが、昔ながらの日本の家の場合、お座敷や床の間になります。現代の住宅事情ですと、そのようにもいきませんので、お雛様の外側の絹製の小物などを守るために高温多湿、直射日光の当たるところは避けるような場所にしましょう。
お雛様の飾り方 左右で男雛と女雛、どちらにくるの?
男雛と女雛の一対で内裏雛(だいりびな)、親王雛とも呼ばれています。ここで、男雛と女雛の左右の並び方ですが、京都と関東では、違っています。
公家中心の社会である京都では左が位が高いということで、男雛は左に(向かって右側)座ります。それ以外の地域では、向かって左・男雛、向かって右・女雛が主流になっていて、その並び方が広まった理由については諸説あり、その頃の資料も震災や戦争などで消失していてはっきりしたことは分からないそうです。
武家社会は右を上位とする慣わしだったとか、昭和天皇の即位式の際、新聞に載った天皇様と皇后様の立ち位置が西洋式の向かって男左・女右であったからだとか。東京の雛人形界ではこの報道写真を受けて右(向かって左側)が男雛、左が女雛と決めたそうです。
男雛の冠を頭に、笏(しゃく)を右手に持ちます。太刀(たち)は左の腰のところに。
女雛の桧扇(ひおうぎ)は、開いた形で手に持たせます。
お雛様の両脇にぼんぼりを立て、真ん中に三方(さんぼう)を置き、その上に瓶子(へいし)を乗せ、花を挿します。
お雛様の飾り方で三人官女と五人囃子の順番と種類は?
二段目はお雛様の三人官女
三人官女は立ち居のお人形が二人、座位のお人形が一人の場合、座っている人が真ん中に来るようにし、立っている女官が左右どちらに来るかというと、外側の脚が前に出るよう配置します。
座っている女官が2人の場合は、立っている女官を真ん中にします。手には、まん中の官女が島台または三方、向かって右の官女が長柄(ながえ)、左の官女には提子(ひさげ))を持たせます。官女の間に置いた高坏(たかつき)上には和菓子をお供えします。
時代の古い雛人形には三人官女がすべて座っているもの、逆にすべて立っているもの、五人官女、七人官女のものなどもあったそうですよ。三人官女は既婚の夫人が一人(眉を沿って、お歯黒)未婚の女性が二人と言うのが一般的とのことです。
三段目は五人囃子(ごにんばやし)の席です。
向かって左から太鼓(たいこ)、大皮鼓(おおかわつづみ)、小鼓(こつづみ)、笛、そして扇を手に持った謡い手が右端にきます。
能楽を創始、発展させた観阿弥と幕府による大きな加護を受けてさらに能を今日の芸術的な地位を確立させた世阿弥により、能役者は武士に次ぐ身分を与えられた者もいたそうです。
その能楽の演奏であるお囃子の五人も華やかな世界でもてはやされた存在だったのではないでしょうか。元服前(15歳以下)なので、髪は結ばず少年の髪型になっています。
ひな人形によってこの五人囃子が雅楽(ががく)の五楽人の場合があります。
そうすると、 向かって左から横笛、立笛、火焔太鼓(かえんだいこ)、笙(しょう)、鞨鼓(かっこ 台付きの鼓)になります。
また、七楽人の場合もあり、琴(こと)、琵琶(びわ)などが加わります。
お雛様の飾り方 お道具類の数々
六段目、七段目には、金蒔絵の様々な調度品が置かれています。
裕福な武家の子女はの嫁入り道具のミニチュアを作り、雛人形と一緒に嫁入りをしたのです。六段目に置かれたそのその調度品は、箪笥、長持、表刺袋、火鉢、針箱、鏡台、茶道具の七点です。この順番に向かって左から並べます。
七段目には、お輿入れ(嫁入り)道具で、御駕籠(おかご)、重箱(じゅうばこ)、牛車(ぎっしゃ)が並べられます。
御駕籠(おかご)
人が棒を前と後で担いで運ぶ乗り物。輿(こし)というのは、2本以上の棒の上に台を乗せ人が担いで運ぶもの。
重箱(じゅうばこ)
現代ではお正月のおせち料理を入れるものという。箱を何段にも重ねた事から重箱と名づけられました。
牛車(ぎっしゃ)
牛に牽引させる乗り物で平安時代では貴族の間では一般的でしたが、後世では機能性より、権威の象徴的存在になりました。
お雛様飾り方左右まとめ
季節の節目の上巳の節句と結びついた女の子のお祝いの桃の節句で、お雛様が飾られるようになったのは、江戸時代になってからといわれています。
もともとは男女一対の内裏雛を飾るだけの物でしたが、次第に華美になり武家子女など身分の高い女性の嫁入り道具になりました。飾り方では、男雛と女雛が京都と関東その他では違ってきます。
京都では、公家の左側が一番身分の高いお方が座るというものが守られ、関東では、諸説ありますが、昭和天皇の即位式の時、新聞に載った天皇皇后両陛下の立ち位置が西洋式の向かって男左・女右であったため、東京の雛人形界でこれに倣ったということです。
次の段の三人官女は立ち居と座位が2対1の場合、一つの種類のものが真ん中に来るように並べます。五人囃子は、五人楽人や七人楽人の場合があります。
それぞれ持っている楽器で判断できます。最後のお道具類は、花嫁道具や御輿入れ道具のミニチュアとのこと。大名家の子女の嫁入りのお祝い風景を段飾りで表しているように見えます。そして、娘を持つ親がその幸せな姿にあやかるために、お雛様を飾ってお祝いをするのですね。